【2022年書籍出版用】「おしえるがっこう」校長先生の物語 第一章 ~先生を志した中学時代~

私が教員を志したのは、中学校3年生の時。当時のクラス担任をしてくださった、不破邦博先生(現:村山邦博先生)との出会いがきっかけでした。時に厳しく、時に優しく、やんちゃで扱いづらかったであろう3年1組のみんなに接してくださった不破先生のおかげで、「先生っていいな」「自分もこんな人間になりたい」と、私の心に、先生になりたいという種を撒いてくれました。

その時の私は今思うと恥ずかしくなるような人間でした。ただ目立ちたい一心で、中学二年生で生徒会長になりました。表向きは勉強もよく励み、部活動でも中心選手として頑張っていました。しかし、裏ではほぼ毎日パチンコに行き、万引きをしたりするたちの悪い人間でした。

とにかく自信がなかった私は、自分を否定したりプライドを傷つけてくることに対しては徹底的に敵対視して、言葉の暴力や暴力で解決しようとする本当に愚かな人間でした。それまでは、運動もでき、勉強もできたからか、友達に囲まれる生活でしたが、そんな悪態が続く中で人が離れていき、誰も口をきいてもらえなくなる経験もしました。ただでさえ思春期の繊細で難しい時期。異常なほど周囲の目を気にする自分が、友達がいない、孤独な人間になっていることは身を切るような痛みと共に、ますます自信を失いました。県内有数の進学校へ受験すると決め、必死に勉強を続けていたのは、今いる環境から逃げたかったのと、自分を保つには勉強するしかなかったんじゃないかと今ではそんな風に当時の自分を捉えています。

今にも壊れてしまいそうな、危うさの中で生きていた自分にとって、不破先生の存在が本当に大きかった。当時、私が気に入らないことがあり、不破先生と一切口を利かないことが何か月かありました。そんな中生意気な態度をとる私に対し、いつも変わらず接してくれました。いいことはいいと言ってくれ、いけないことはいけないと、親身になって伝えてくれていることは、人一倍人の優しさに飢えていた自分には、その優しさは痛いほど理解できました。

また、クラスには個性派ぞろいで突っ張っている生徒も多数。弱みを見せれば何をしでかすかわからないような危ない部分も持ち合わせた集団でしたが、何気ない雑談の時、不破先生は、ご自身のプライベートの悩みを僕たちに明かしてくれました。どういう流れでそのお話が出たのかは覚えていませんが、僕たちのことを信頼してくれているんだという気持ちを感じたことは、今でも鮮明に覚えています。

その頃から、いつか自分も教師になるかもしれないと、自然と意識するようになっていました。高校に入学し、その時も素晴らしい先生たちとの出会いで、自分は教師になることを決意することができました。絶対になりたい!先生になって自分も子どもたちの役に立てる人間になりたいという希望に満ち満ちていました。

話は少しそれますが、高校に入り大学入試のためのセンター試験。高校では落ちこぼれだった私が、高校野球引退後半年間、教師になるため、教員養成の大学進学のために死に物狂いで勉強し、奇跡的に過去最高得点を取ることができました。私は、自己採点した朝5時台に、感極まって不破先生の自宅へ電話をかけ喜びの報告。迷惑でしかないのはわかっていましたがあまりに嬉しくて電話をしてしまいました。無事第一志望の大学に合格した際には、味噌カツをご馳走して私の合格を自分の事のように喜んでくれました。不破先生との出会いが、僕の人生を最良の道へと導いてくれました。

先生との出会いで人生が変わった。私は、教師には感動で生徒の人生すら変えてしまう力があることを学びました。「教師こそ最大の教育環境である」という言葉は、不破先生との出会いで身をもって教えていただいたことです。

 

 

 

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